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差別撤廃案の動機

講和会議開会から四日後、1919年1月22日、五大国首脳会議が行われ、国際連盟の規約委員会の構成の議題に移ろうとしていた。その時、日本の次席全権委員、牧野伸顕が突然発言した。(首席全権は元老・西園寺公望だったが、彼は老齢、病弱なこともあって実質は牧野が主席だった。)

「ちょっとお待ちください。・・・日本は、国際連盟の設立に決して協力を惜しむものではありませんが、いかにせん、国遠く、いまだ十分準備が出来ておりません。・・・」

政府からの指示に基づく議事引き延ばし工作だった。

問題は、この時ヨーロッパ、アメリカは既に国際連盟設立の具体的な方策に取り掛かっていたことだ。ウイルソンは苛立った。「少なくともここに集まっている同盟国の諸君は、皆、国際連盟設立が平和条約の前提だと考えてきました。日本は何か別のお考えがあるのですか」

反対ではない、さりとて賛成ではない、別の考えがあるわけでもない。何が言いたいのだ、日本は?

日本政府は牧野に次善の策を指示してあった。

(現代語訳)「国際連盟の最終的な目的には、日本政府は賛成するが、国際間での人種差別の現状を解決しない限り、連盟の設立は日本の不利益をもたらす恐れがある。だから、連盟の設立が避けられないときは、人種偏見が原因で起きる日本の不利益を除くように出来る限り努めること」

牧野が2月の初めに提案した人種差別撤廃案は、この政府訓令に由来していた。

政府訓令は、つまりこういうことだ。アメリカ、ヨーロッパが国際連盟の設立で何を狙っているんだ?どうせ自分らが持っている既得権益を守り、日本などの遅れてきた帝国主義の進出を押さえることが目的だろう。本音がわかるまで様子を見たほうが良い。出来るだけ成立を引き伸ばせ。しかし、どうしても引き伸ばせないようだったら、日本の権益が守れるよう、人種差別を撤廃するような文句をどこかに入れろ。大体奴等は黄色人種を馬鹿にしてるから、人種の同等を謳うことで日本の中国その他アジアへの進出を妨害できないようにしろ。

人種偏見はヨーロッパ、アメリカを吹き荒れていた。日本移民がカリフォルニア、アリゾナ、オレゴン、テキサスで差別され、ヨーロッパでは黄禍論がささやかれていた。黄色人種が白人キリスト教社会に禍をもたらす、という警告で、ドイツ帝国皇帝ウイルヘルム二世が最初に口にしたといわれる。

人種差別撤廃案は日本の心の葛藤、列強への仲間入りと黄色人種として差別されているという劣等意識、を国際政治の現実の中で解決したいという意識の表れだった、と思う。

日本の提案した人種差別撤廃案とたとえばウイルソンの提案した平和のための14ヵ条を、その提案の経過・背景について比べると、日本案は別に人種平等の理想に基づくものではなかった、というのが僕の解釈だ。外交のことだ、どんな動きにも国の利害が背景にあり、駆け引きがあることだろう。しかし、人種差別撤廃案は理想の仮面をかぶった後発帝国主義の足掻きの面が大きい。言ってる事は高邁かもしれないが、当時日本のしていたことはこんな理想からは程遠い。


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